最新情報(Twitter・Facebookより)


皆さんのご意見に耳を傾ける活動をしています 

「待ったなし!私たち 新時代」
毎日、街頭、駅頭で皆さんとの対話を続けています。
対話が私の政治活動の原点です。
さあ皆さん、裏のない政治へ待ったなし。
「私たち 新時代」を作りましょう!

ご意見、お困り事など
いつでもおしらせください
岡島一正



岡島一正の市民交流ギャラリー

たくさんの人たちと会話するのが、私の活動の原動力です

最新ブログ

  • ◯17年前の事件の情報提供の呼びかけ

    今朝は平成20年に市原市姉崎の不動産屋の中で起きた殺人事件の犯人に関する情報提供を呼びかけるビラ配りをしています。

    毎年、1月17日に姉ヶ崎駅で行われています。今朝も遺族のお嬢様、お孫様と街の有志の方が市原警察署の皆さんと共に朝7時からビラをして情報提供の呼びかけをしました。

    皆さんで協力して安心な街をつくっていきたいものです。よろしくお願いします。

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  • 餅つき大会 七草過ぎても、、まだまだ正月

    今日は七草から5日過ぎましたが、市原市の千葉土建組合では駐車場にテントを立て組合員の家族の皆さんも参加して餅つき大会が行われました。
    私もつきたてのお餅の雑煮を頂きました。まだまだ正月気分もいいものです!

  • 二十歳の集い

    今日、12日、私は私が住む街・市原市姉崎の会場に伺い祝辞をのべました。

    「今年は昭和を基準にすれば昭和100年。皆さんの生まれた平成や生きている令和の時代の礎は昭和に築きあげられました。歴史上最大の繁栄と混迷が混在した昭和。是非、昭和を振り返り学び新しい令和の時代を作ってください!」

    ※写真は主催者からの要望で若者の顔がわかる写真は載せられないので、
    会場で頂いたパフレットの接写のみで二十歳の集いを映しました。

  • 二十歳の集い

    今日、12日、私は私が住む街・市原市姉崎の会場に伺い祝辞をのべました。

    「今年は昭和を基準にすれば昭和100年。皆さんの生まれた平成や生きている令和の時代の礎は昭和に築きあげられました。歴史上最大の繁栄と混迷が混在した昭和。是非、昭和を振り返り学び新しい令和の時代を作ってください!」

    ※写真は主催者からの要望で若者の顔がわかる写真は載せられないので、
    会場で頂いたパフレットの接写のみで二十歳の集いを映しました。

  • 新春の集い 11/Jan/25

    昨日は午前から夜まで千葉市、市原市で各種団体の新春の集いが続きました。あまりにも時間に追われていてSNSへの活動報告が今朝になってしまいました。
    今日は二十歳の集いが各所で行われます。出席出来るのは1ヶ所だけなので市内の他会場には祝電を届けました。

    ・昨日の新春の集い
    ちはら台
    民団
    自治労千葉県本部
    千葉県教職員組合
    千葉市歯科医師会
    市原市医師会
    天羽田地区
    姉崎上町明神囃子保存会
    etc

二十歳の集い

今日、12日、私は私が住む街・市原市姉崎の会場に伺い祝辞をのべました。 「今年は昭和を基準にすれば昭和100年。皆さんの生まれた平成や生きている令和の時代の礎は昭和に築きあげられました。歴史上最大の繁栄と混迷が混在した昭 …

政治理念

若者の教育環境を整えたい!

高校生・大学生が社会に羽ばたける制度づくり

若者が本当の意味で、未来に夢を持てる社会とはなんでしょうか?1つは教育。今現在の大学生の約51%が借金をして通っています。若者が卒業時に数百万円も負債があるというのは健全と言えるでしょうか? その学生にとって、就職が思うようにいかずに自己破産もあるという日本社会が、競争社会だからそれでいいと思えるでしょうか?
単純に学費無償化と言うつもりはありません。若者が無理なく自分の未来を切り開ける、夢を持てる社会を作る必要があるはずです。例えば親の世帯収入に応じた学費制度や学費減免制度など、考えればいくらでも対策はあるはずです。

就職問題の闇に切り込みます

高齢化社会を支えてくれる若者世代が今まで以上に生きやすく働きやすい環境を整備します。

正社員と非正規社員(派遣労働)の比率が、諸外国にはありえない比率になっています。普通の先進諸国は、派遣労働比率は非常に低く、将来設計を安心して行うことができます。ところが、今の日本は派遣社員の比率が4割を超えています。正社員と非正規社員(派遣社員)との間に溝もできています。
このような社会でいいのでしょうか?
非正規労働からピンハネされたお金は誰がもらっているのでしょうか?
非正規労働で企業が儲けたお金はどこへ行ってしまったのでしょうか?
この問題には、隠された闇の部分がかなりあります。例えば消費税率を上げると非正規労働比率も上がることをご存知でしょうか?
私は、この問題を深く探り、対策を打ち立てたいと考えています。
長年の特派員記者の経験を活かし、取材と言論の力も使い、闇に切り込みます。

介護環境をさらに整備・充実させます

世界でも稀に見る高齢化社会を迎えるのが日本です。若者も高齢者も楽しくなる社会福祉を設計します。

高齢者の比率がどんどん上昇しています。その一方で若者は減っています。このままでは共倒れしてしまいます。その一方で、日本の介護サービスは年々良くなっていることも事実です。地域総合支援センターの充実や病院における地域連携室などの設置によって、高齢者が社会の中で楽しく生きる仕組みも充実しつつあります。
介護サービスに従事する人たちの地位も向上しつつあり、最先端の高齢化社会サービスへ向かっています。
しかし、それを支える若者世代は、それで満足なのでしょうか? 支えられている親世代、祖父母世代は満足なのでしょうか?
福祉サービスに従事することが、江戸時代の『孝行者』のように賞賛されているでしょうか?
若者世代も高齢者世代も笑顔になれる社会を設計していきたいと思っています。

対話外交の高度化を目指します。

戦地の単独取材を数多く経験してきた経験をいかした対話外交

国際紛争や隣国の不安定な状況をどのように対処するべきでしょうか? 安倍政権は軍事力の強化こそが隣国を黙らせることができる唯一の方法だと叫んでいました。菅政権の下で、これはどうなるのでしょうか?

本物の戦場を見てきた私が確信していることは、軍事力では何も解決されず、軍事力を使った後にはさらなる大きな問題が生まれてしまうということです。軍事力で解決できた外交など、見たことがありません。
軍事力をちらつかせ相手を威嚇して生じるのは、恨みだけです。
今の東アジアの状況は、第二次大戦の恨みそのものではないですか。一時的に黙らせても、その後に数十年、数百年とマイナスな状況が生まれてしまうのです。
戦場を知っているからこそ、対話だけが恨みを生じさせずに問題を解決できる手段だと確信しています。
『対話で何も進まないじゃないか』
それは、対話した人や対話を取り巻く環境に『大きな失敗と能力不足』があるからです。机の上だけで考えたことを相手にぶつける外交ではだめです。
真実を見てきた目と経験をもってこそ、本物の対話が可能だと思います。
新次元の対話外交を進めます。

岡島一正のプロフィール

立憲民主党 元衆議院議員 千葉3区

NHKで報道賞多数→取材&表現のプロ→プロの技術で皆さんの声を国政へ届けます。

プロフィール
岡島一正 1957年生まれ

(昭和32年)11月3日生まれ 市原市立姉崎小学校、中学校卒業
1976年千葉県立木更津高校卒業
1981年早稲田大学社会科学部卒業

NHK入局 報道カメラマン 福岡放送局へ赴任(2年間)
長崎水害(300人死亡)、壱岐のイルカ騒動などを取材
1983年沖縄放送局へ転任(5年間)
沖縄で基地問題や珊瑚礁の環境問題、伝統文化や戦争体験の風化を取材 

米兵と日本人女性との間に生まれた子供達の国籍問題等を描く
▼ドキュメンタリー「国籍法改正施行 日本人になった日」
▼おはようジャーナル「米兵に嫁いだ女たち」 他
1988年報道局へ転任 映像取材部(1年間)、特報部(2年間)

9月、ソ連軍占領下のアフガニスタンへ特派され、
内戦と89年2月のソ連軍の完全撤退を最後まで取材
その他、アジアの内線や環境問題等を取材


羽田空港記者クラブに所属し航空問題を担当
戦前の台湾における日本の植民地政策とその影響を探る
▼ドキュメンタリー「琉台航路 謎の運び屋たち」

ベトナム戦争を問い直すインドシナ取材に取り組む
▼NHKスペシャル「社会主義の20世紀 ベトナム戦争15年目の真実」
▼「戦争を記録した男達 ファインダーの中のベトナム戦争」
1991年バンコクへ特派員として赴任(3年間)

アジア全域で取材リポート。
カンボジアPKO、ミャンマーの民主化などを取材

特にカンボジアでは、20万人の難民の帰還を継続取材

混迷の日々を生き抜き復興に賭けるカンボジアの人々を描く
▼NHKスペシャル「アジアハイウェー 現代史が駆け抜けた道」
1994年報道局へ帰任
報道局アジアセンターなどでニュースデスク担当(3年間)
少年犯罪、臓器移植、政治家の汚職事件等を取材

ベトナムの改革政策ドイモイの実態を取材 
▼クローズアップ現代 「ベトナム戦争終結20年」
1996年報道局映像取材 ニュース総合デスク(4年間)
国内外の事件、事故、災害などのニュース緊急報道の取材指揮を担当

ペルー日本大使公邸人質事件の現地デスクとして5ヶ月あまり、
リマで映像取材の指揮を取る(96年12月~97年5月)
2000年報道局映像取材 番組担当副部長
NHKスペシャル等の製作で映像取材の統括担当
2001年3月 NHK退局
2001年7月 参議院議員選挙出馬 364,248票で次点となる

アフガニスタン復興やテロ攻撃などの国際問題や親子関係、景気等をテーマに講演活動を始める
2003年11月9日 衆議院議員選挙で85,610票を得、千葉3区より、初当選
2004年1月 衆議院「決算行政監視委員会」「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会(通称:イラクテロ特別委員会またはイラク特)」の二つの委員会に所属
2005年9月11日 衆議院議員選挙で 85,707票で次点となる
市原市、千葉市緑区の各地域を歩き、皆さんが抱える社会問題や政治への関心、意見などについてお聞きしながら、日々、次期、衆院選に向けて活動。
2009年8月30日 衆議院議員選挙で112,035票を得、千葉3区より、当選
2010年【党役職】陳情要請対応本部 副本部長
【国会の所属委員会/役職】予算委員会/ 理事 国家基本政策委員会理事
海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会/理事
2011年【国会の所属委員会/役職】決算行政監視委員会/筆頭理事、内閣委員会/ 理事
海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 /理事
2012年7月
【国会の所属委員会】 総務委員会
【党 役職】総務委員会 委員長
2017年10月立憲民主党公認で、千葉3区で当選

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